コンテンツの作り手側の【計算】を見抜くこと

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今日は午前中は商工会挨拶回り、ようやくあと1回くらいでコンプリートかなというところまで来ました。で、午後は家の諸々の用事とか仕事とか。なんか飛び飛びになってまとまったデスクワークの時間が取れず、なんて感じでした。

そういうちょっとした時間を上手く切り替えて、小刻みに設定した仕事とかをコツコツやったり、筋トレとかやっちゃうといい感じになるんだろうなぁとか。工夫が必要なところですねぇ。

で、「飛び飛びの時間」といって思い浮かべるのは、寝る前にチョコチョコいじってるドラゴンボールのゲーム(上写真参照)、全く課金してないんですが結構なところまで進んでまして。ゲームのストーリー的には一段落しているんですが、スマホのオンラインゲームのよろしくないところで、イベントだの○○記念キャンペーンだので、やれレアアイテムがどうしたのと引き留め策にダラダラ乗っかっている状況ですね。

もはやさほど新鮮みも面白みもないんだけど続けてしまう・・・みたいな、この飼い慣らされたような感覚ってなんでしょうね? ゲーミフィケーションの闇の方の効果といいますか、パチンコ中毒者を作るプロセスに近いといいますか。

ゲーミフィケーション - Wikipedia

よくスマホゲーのレビューとかに「暇つぶしにいい」とか書いてありますが、まさにそういうことなんでしょうね。で、ゲームに限らずサイトやらマンガやら雑誌やら・・・とさまざまな「暇つぶし」なコンテンツがありますが、その中でもゲームって中毒性ありますもんね。カセット・ディスクなどのカートリッジからオンラインゲームに変わり、テレビから気軽に持ち運べるスマホに端末が変わったことで、目的が【遊ぶ】から【暇つぶし】に変化しているんでしょうね。

あとはYouTubeの動画も3分以内とか1分以内とかで作る・・・っていいますもんね。コンテンツ作りも顧客目線といいますか、さらにいうと「見る人・やる人の行動パターンに合わせるよう【計算して】作る」のが重要なんですね。

で、作り手側な話になりますが、あらゆるコンテンツに触れながら、それらのウラに隠された【計算】を見抜き、自分が作るものに応用させることが重要になってくるんですよね。

その辺が『遊ばないといい仕事できない』という一言に集約されているのかもしれないなぁと。