凄い人って妙に説得力があるのってなんでだろう?

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本日は子供のスイミングの送迎と、野球(今日は送迎だけじゃなく外野で球拾いしたりとかもやりました)を。

そんな中考えていたのが、「各分野の凄いといわれる人やインフルエンサーといわれる人達の説得力の理由ってなんだろう?」なんてこと。

よくここ数年で言われるようになった言葉で「何を言ったかではなく誰が言ったか?」なんてのがあり、同じことを言ってもその重みや価値が違うといったお話で、当然といえば当然なんですが、不思議だなぁなんて。

その昔浜崎あゆみ全盛期のパナソニックのCMとかって「あゆは○○」で売れてたわけですよね?ここ数年に話を戻すと「インフルエンサーマーケティング」だの「ステマステルスマーケティング)」だのも、影響力による説得力を活用したものですし。

テレビの視聴率のように、「影響力」なんてのも目に見えないものではありますが、各種SNSのフォロワー数なんてのも分かりやすい目安の代わりになりえます。

本来「(〜で)有名になる」プロセスや説得力の源泉って、もちろんその人のキャラクターや話し方、考え方とか、「伝説」の有無とかいろいろあります。

 

平凡なその辺のおっちゃんの場合はというと、勉強だの練習だのの積み重ねて、実績をコツコツ積み上げて、そうすることで自信をつけていくと、安定感や説得力という見えない何かがまるでオーラのように付いてきて・・・ってことですよね。

だからこそ、その辺のビジネス書あれこれ読んで知った気になっている小僧が言うことよりも、カリスマ性とかは無いけどあらゆる紆余曲折や修羅場をかいくぐった熟練な方の一言の方が重み/価値があるとされているわけですよね。

重みとか価値とか、説得力とか影響力を身にまとうのは、簡単ではないんです。一見チャラチャラしているインスタグラマーなガキんちょも、見えないところで工夫や努力をしているからこそ今のポジションがあるはず。

 

「説得力とか影響力とかは簡単に身につかない」ってある意味フェアでいいことだと思うんですよね。目指したかったらコツコツ積み上げていけばいいし、あるに越したことはないけどソコまでは・・・ということならば違うところを志向していけばいいんだろうし。

有名になりたい・影響力をつけたい・・・のはいいんですけど、そのプロセスが「先人の猿真似」だったり手軽に求めすぎなケースがやけに目に付くこの頃。それは違うよなと思うわけです。

ちなみに私の場合、「有名になりたい」的な志向とか数的なものとかはべつに求めていませんが、伝えたい人にピンポイントに伝わるようにできたらなと。

この時期にこの例えは微妙かもですが、マシンガンというよりライフル?みたいな。スナイパーでありたいです。

・・・あと仕事柄説得力はほしいですねぇ。